中条ロータリークラブの活動報告
2024-2025年度 第32回例会
2025/03/05
〇国歌斉唱「君が代」
〇ロータリーソング斉唱「奉仕の理想」
〇会長挨拶(佐藤守会長)
・今日は二十四節気の啓蟄です。蟄虫(すごもりむし)が戸を啓(ひら)く。柳の若芽が芽吹き、蕗の薹の花が咲き、徐々に春めいてくる。冬眠をしていた地中の虫が春の陽気に誘われて這い出してくる時期とされています。しかしこの寒さだともうしばらくの辛抱が必要いうところでしょう。
・3月に入るとそろそろ歓送迎会シ-ズンの到来です。宴会でお喋りに夢中になり宴が終わった時に料理がそのまま残ってしまったなんて…。そういう経験はありませか? 新潟市では、宴会時の食べ残しゼロを目指す「20・10・0(にーまる・いちまる・ゼロ)運動」を推奨しています。宴会開始後の20分間と宴会終了前の10分間は自席で料理を楽しむ時間とすることで食べ残しゼロを目指す運動のことです。料理を楽しみながら、食べ切ることで食品ロスを限りなくゼロにしたいものです。
・新潟市のANAクラウンプラザホテル新潟では、ホテル内で出た食べ残しや野菜くずを堆肥化し、その堆肥を利用して作られた農産物を朝食ビュッフェで提供しています。自ら生み出した資源を循環させ地域や地球に優しい食のスタイルを届けることを目指しているようです。お店の入り口と料理台に「食べ残しゼロにご協力ください」と案内を掲示し、利用されるお客様に美味しく食べ切れる量を取っていただくようにご協力をお願いしているそうです。さらに朝食ビュッフェはもちろんホテルで提供する料理全てにおいて可能な限り地元で育てられた食材を使用し、地産の食材を取り入れることで地域農業を支え、また食材の輸送距離を縮めることでCO2排出量削減にも努めています。美味しい料理を楽しんで頂くと同時に食品ロス削減に繋がる心掛けは私達も見習うべき点だと感じました。
・これからは世界の食糧事情は非常に厳しい状況になっていきそうです。美味しいものは美味しく食べられるうち
にたくさん食べておきましょう。
〇幹事報告(五十嵐和彦幹事)
・第9回理事会報告
・ガバナー月信・財団ニュース・月刊胎内トコトコ便紹介
・米山功労者・R財団午餐会の案内
・青少年奉仕活動に対する合同事業のお願い
・須貝八栄会員が3月末をもって退会されます。
〇出席報告(舩山博貴さん)
会員総数51名。出席者42名。無断欠席0名。
・他クラブ出席等(メークアップ)
2月26日 第3回会長幹事会 佐藤守会長・五十嵐和彦幹事
・皆出席表彰 富樫寿彦さん(8年)、佐藤昭さん(8年)
〇ニコニコBOX(堀川敬さん)
渡辺真美さん、延本龍太郎さん
〇各種お祝い(近貴之さん)
【入会記念日】佐藤昭会長、富樫寿彦さん、近貴之さん
【会員誕生日】高橋学さん、山﨑克雄さん、小野正義さん、石川まさみさん、井上大輔さん、羽田勝さん、小野和英さん
【夫人誕生日】増子達也さん、涌井龍彦さん、船山栄一さん、井上大輔さん
【結婚記念日】伊藤敬一さん、佐藤守さん、井上大輔さん
〇疾病見舞金の贈呈(富樫新一さん)
中条RC慶弔見舞金・記念品贈呈規定により見舞金を贈呈しました。
〇ロータリーの友の紹介(加藤清司さん)
横組P5 【IR会長メッセージ 一つの小さな行動】3月重点分野「水と衛生」
横組P23「命の使い方」と「論語の裏読み」石川彌八郎さん 他
〇会員卓話(加藤清司さん)
・3月3日桃の節句。安政7年(1860年)3月3日水戸藩の脱藩浪士が中心となり大老井伊直弼を暗殺する桜田門外の変が起こった。その後薩長により井伊直弼は悪人だと印象付け、教科書にもそのように書かれていた。
・茶道の達人で「茶湯一会集」に「一期一会」を書く。井伊大老は彦根藩14番目として生まれ、兄達が亡くなり33歳の頃に彦根藩主となり、その後幕閣に入り老中か大老にまでなった。その中で自分がお茶をやってきたとよく書いてある。藩主になる前、彦根城の堀の外に静かに住んでいた時「そよと吹く風になびきてすなほなる姿をうつす岸の青柳」柳のごとく抵抗しないですらすらと生きる事を謳っている。また幕閣にあっても「春あさみ野中の清水氷居てそこのこころをくむ人そなき」自分が幕閣にいてもなかなか自分の心を分かってもらえない事を書いてある。茶道、政道の助けとなる文、政治や経営に役立つ事が書いてある。また井伊直弼は仕事でも全ての書状に目を通し夜遅くまで働いていた。素晴らしく優秀な人であったが歴史上の評価は違う。
・幕末の茶人で幕末三舟(勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟)がいる。山岡鉄舟は徳川慶喜の命で江戸城官軍総攻撃になる時、静岡の本営に飛込み、勝海舟の訴状をたがえ江戸城総攻撃を辞めてくれと西郷隆盛へ会いに行った。明治維新後新政府の要人になり、最後は明治天皇の養育係までになった。亡くなるときは皇居の方へ向き座禅を組み死んだという逸話がある。この人も茶人でお茶の一派も開いていた。幕末にはそういう凄い茶人が出ている。
・中曽根康弘さんは戦地へ行く時「茶の心」を懐に入れて向かった、お茶は色々と歴史の中に生きていると思います。
活動報告