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分水ロータリークラブ「我が街・分水」

2014/12/29

 

~日本一輝いているまち・つばめ~

 

☆燕市分水地区(旧分水町)とは

燕市は、旧分水町・旧吉田町と燕市から成る、新潟県のほぼ中心にある市。2006年3月20日に二町一市が合併した。

燕市全体の人口は82,285人(平成26年11月30日現在)で、分水地区は14,417人。地区の面積は39.61k㎡。“町の木”はサクラ。

町内には、小学校が3校、中学校・高校が1校ずつ。国上山の麓に、道の駅くがみがある。

分水

 

☆分水おいらん道中

 毎年4月に行われる。大正13年頃、地元の有志が花見客向けに行った仮装行列が起源といわれている。

明治40年、住民の念願だった工事が始まり、24年の歳月を経て、昭和6年に大河津分水が完成した。明治43年頃、工事開始と完成を記念して、住民が堤防に桜を植え、大河津分水の桜並木が作られた。この桜並木は、「日本さくらの名所100選」に選ばれている。

大河津分水桜

昭和9年、分水の桜などを全国に広めようとする「分水路花の会」が発足し、観光客の増加を機に、おいらん道中も賑やかに行われてきた。戦争や災害などで中止した年もあったが、毎年4月には名所100選の桜並木の下で「おいらん道中」は大変な盛り上がりの中、行われている。

平成27年度は4月19日(日)開催予定。お楽しみに!

 

☆良寛さま

分水と言えば、良寛が有名。詳細についてはいまだ未詳なことが多い。

生まれは出雲崎で、実家は名門の庄屋。18歳の時、突然出家する。22歳から、国仙和尚を生涯の師として、玉島の円通寺で11年間修行をする。国仙和尚との出会いは、国仙和尚が出雲崎の光照寺に立ち寄ったことから。父の死を機に故郷へ戻るも、実家には帰れず、大森子陽の塾生時代の仲間の紹介で、五合庵に仮住まいする。その後、密蔵院や西生寺などを転々としていたが、国上寺住職が亡くなるのを機に、五合庵に12年間定住する。

生涯、弟子をとらなかったが、世話役として遍澄をそばに置く。遍澄の計らいで移り住んだ先で、貞心尼と出会った。良寛の最期を看取ったのも、貞心尼と弟の由之(ゆうし)だった。

 

☆良寛さま関連施設

・分水良寛史料館

良寛の五合庵、乙子神社草庵時代の遺墨、関係資料などを展示している。良寛と晩年親交の厚かった解良家や阿部家にまつわるものも。

・国上寺

和銅2年創建。良寛が30年近くいた国上には、たくさんの詩や歌、書が残っており、その大部分が国上山に住んでいたころのもの。

・五合庵

新潟県の文化財に指定されている。良寛が約20年過ごした場所。国上寺本堂を再建した僧「萬元上人」が、毎日米五合をもらっていたことから名付けられた。

・朝日山展望台

広大な越後平野と大河津分水路、越後三山まで望むことができる。桜や紅葉と季節になると賑わい、子どもたちと遊ぶ良寛像がここには設置されている。

・千眼堂吊り橋

朝日山展望台と五合庵を結ぶ長さ124mの吊り橋。「新潟の橋50選」にも選ばれている。

☆燕市観光協会が国上山のボランティアガイドを行っているので、活用してみるのもアリ!

 

☆道の駅

道の駅くがみがある。この道の駅を起点に、良寛の足跡をたどることも可能。そば打ちや民芸品作成などが体験できる体験コーナーや朝市も開かれている。また「ふれあいパークてまりの湯」で温泉につかることもできる。

 

☆イベント

4月に行われる「おいらん道中」の他にも行事やイベントが行われている。

・7月 分水まつり

燕市内3地区それぞれ夏まつりが同じ時期に行われる。

・9月 越後くがみ山酒呑童子行列

「酒呑童子にあやかって、夢や願いをかなえよう」がコンセプトになっている。「酒呑童子」とは、古くから分水・国上に伝わる鬼のこと。毎年500名を超える参加者が、鬼の仮装をして練り歩くイベント。2014年で、丸10回を数える。

 

 

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